Scholar-Athlete Project
Jリーグの京都パープルサンガが2006年U-18を対象にして立ち上げたプロジェクト。
「サッカー選手としてだけではなく、社会人として、人間としても優れた人材を育成する」ことを目的としている取り組みです。
日本には「文武両道」という言葉があります。意味は、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す語。求道的な評価にも用いられる語である。転じて、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に秀でた人物に対しても用いられる(Wikipedia)とあります。
海外では一流のスポーツ選手から医者や弁護士に転進した秀才アスリートが多く存在します。
その中の一人エリック・ハイデンを紹介します。
1980年レークプラシッド冬季オリンピック、スピードスケート競技において500m、1,000m、1,500m、5,000m、10,000mで史上唯一の完全制覇(全種目オリンピック新記録)を成し遂げた英雄です。
その英雄がインタビューでこんな発言をしています。
「金メダル、実際もらってどうする?上等のウォームアップスーツをもらうほうがいいな。金メダルはほかのメダルと一緒に母の化粧ダンスにしまわれるだけだよ。埃をかぶってね」
アメリカの英雄となったハイデンだが、オリンピック後はあっさりとスケート競技から引退。
第二のキャリア、自転車競技の世界にはいった。全米競輪選手権で優勝するなど活躍したが衝突事故により引退。第三のキャリアを始めることになる。
ハイデンはスタンフォード大学に入り、整形外科医になる。そしてスポーツ医学の分野で成功し、NBAやWNBAのチームドクターも務めるようになったのだ。
「有名になるためにスケートを始めたわけではない。そのつもりならホッケーをやってるよ』と言ったハイデン、妻を愛し、愛犬とランニングし泳ぎ、第三のキャリアを楽しんでいる。
さて、日本ではどうでしょうか?
トップアスリートがその競技以外の職業に就き成功を収めた事例がないわけではない。
しかし欧米の事例と比べると奥深さ、秀才さのレベルが違いすぎる。
トップアスリートが五輪で知名度を上げて、最後はテレビでお笑いタレントと一緒にお笑いをやるなんて国は、本当にスポーツが文化として定着していない証だと思います。
日本は人生を何か一つに捧げることを賞賛する傾向があります。
自分はこれ一筋と言い聞かせ頑張ることも悪くはないが、そのことで他の可能性に目をつぶってしまったり、機会を失っていないでしょうか。
潜在能力を伸ばせない日本、それは自分のポテンシャルを引き出せないシステムになっていると言わざるをえない。そしてこれはスポーツのシステムではなく教育全体のシステムの問題と思われるのです。また、スポーツに対する人々の考え方、風潮にあるという指摘もあるでしょう。
これらが文武両道の可能性を秘めた子供達の芽を摘み取っている可能性があります。
もしそうだとすると、それは日本にとって大きな損失であり改善すべき点なのです。
これからは、アスリートが引退後、大学院や大学でキャリア形成をするだけではなく、京都パープルサンガのようにアスリートそのものが社会的資源としてあるという自覚を育む教育を具体的なカリキュラムとして開発し明示していく必要があります。
日本で真のスカラーアスリートが誕生することを願って。