*前頭連合野②

自分自身の動機付けで(好奇心)で獲得した知恵は大人になってからも忘れることはない。 教室で何の動機付けもなく教えられたことは時がたてば忘れてしまうものです。 我々大人は、最近の若者は「マナー」がなってないといいます。 それは子どもの頃に「道徳」を教えていないからだ。ともいいます。 しかし、原因はそれだけなのでしょうか。教育の在り方に問題はないのでしょうか?

AS_80679427たとえば、学校の場合はじめから校則があり、従うことを強要されます。これでは子ども達から考える機会を奪うことになります。 子どもは押し付けられた「道徳」や「規律」に反発します。 人間関係に関する行動パターンや社会のルールは上から命令され与えられても、それは、脆く、薄っぺらで信用なりません。 「モラル」や「マナー」あるいは「道徳」と呼ばれるものは「生きやすくするための方法」のはずです。 公共で騒ぐのは迷惑。つまり「生きやすく」ない。だからマナーが生まれる。 この原則を理解したうえで「じゃあ自分だったらどのように行動する」という思考力が必要になります。 つまり、身のまわりの最低限のルールを自分で考え、自分たちでつくり、自らに課すという経験がルールを守るという意識を育てるのです。

系統的学習から問題解決学習法が注目されるのは、そういう観点から納得できると思います。 「自己の動機付け」→「自己規制」→「自助努力」を引き出す活動。 このような体験ができるのは遊びとゲーム形式の運動、つまりスポーツ以外にあるでしょうか。 ゲームやスポーツで自由に遊ぶことによって、公平さと公平さへの理解を深めていく。 場合によっては、子ども達がフェアプレイとはどういうものかについて討論することや、今からやろうとしているゲームにどんなルールが相応しいかを話し合って決めるのも良いでしょう。 また、必要に迫られてスポーツをする場合でも、楽しめるチーム作りをすれば、ルール違反はいけないこと、ベストを尽くしてプレイすることこそ大切なのだということを学べると思います。

AS_49266053コロラド大学の生態学と進化生物学の名誉教授マーク・ベコフ氏は「スポーツの試合などでフェアプレイの精神が具体的に言動に現れるように、それまで隠れていた倫理観が表面化することと遊びは不可分の関係であることを明言しています。 知性や創造性をもつ「人」であるための基本的な機能に大きく関わっているのが前頭連合野。 その機能は、動物の遊びに始まり、人間の健全な遊びに受け継がれ、育まれているといってよいです。 子ども達は、ほっといても楽しそうに遊んだり、お話をしているのを見かけます。 大人には理解できないこともあり、つい口出ししたくなる事もあります。 しかし、子どもには子どもの世界があり、大人が干渉しないほうが良い時もあるでしょう。 そんな時には一度立ち止まって、「大切なのは子どもの自己決定を信じること」であり、「まっすぐ伸びる芽を大人が支えてあげること」だということを肝に銘じて見守ってあげましょう。