*スキル獲得の違い
1994FIFAワールドカップにおいてドイツ代表の不振は世界中の専門家が驚きました。なぜドイツのような技術的レベルの高い国が準々決勝で敗退したのか、誰もが不思議に思っていました。
この敗北を教訓にドイツサッカー協会は、優れたチームとドイツのチームのスキルの取得の方法を比較することで一つの答えを見出したのです。
その分析結果、先進国の子どもと比較して、ブラジルやアルゼンチンなどの貧しい国の子どもが全く異なる方法で自分のスキルを開発していたことが判明しました。
ドイツの子供たちは、クラブチームで技術の反復トレーニングを行なっていましたが、ブラジルの子供たちは、クラブチームで専門的トレーニングを行なう前にストリートサッカーという遊びの中で多様な動きを身に付けていました。指導者不在のストリートサッカーでは個人の責任、自己決定が求められます。また、子供たちがゲームでの戦術を開発するための課題を解決するだけでなく、自分でアイデアを生み出すことを余儀なくされました。大人の管理下で制限や規制に縛られた中でスキルを身につけていたドイツ人の子供たちとの違いは明らかです。自己責任と自由で積極的な行動、これらの経験は運動品種の富をもたらしました。
*遊びの重要性
ここで注目すべきは、子どもの成長過程で遊びが必要であるということです。子どもが充分な遊び体験を積むことは、心身の健全な成長に不可欠なものです。
しかし実際はどうでしょう?私たち大人が生活を取りまとめ管理する環境に、子供たちが心から喜びを感じて自ら遊びに参加する機会があるのでしょうか。
私が小学生のころやっていたテニスゲームは、子ども達が自分で考え出した遊びの典型で地面とアパートなどの外壁を利用した素手で打つ2D仕様のゲームでした。それなりにやり方と決まりごとがありましたし、ゲームそのものが変化自在で、ルール変更も毎度のことです。全体としては暗黙のルールがあり公平さもあった。こうしたゲームは、自分はどういう人間かということを教えてくれました。子どもがとりまとめ、子どもが仕切るこのような経験は、自分の能力や理解力、そして自分というものの理解を深めるプロセスに大きな影響力を与えてくれるのです。
*今後の課題
ほとんどの子どもがごく自然に遊びを始めます。鬼ごっこ、水遊び、缶蹴り、ブランコ、木登り、水切り等、それらは成長とともに球技、走技、水泳などのよりスポーツに近い遊びの領域に変化していきます。ただし、遊びが重要だからといって、単にいろいろスポーツをやればいいというわけではありません。
昨今、子どもの体力低下に伴いスポーツ導入の低年齢化が進んでおります。しかし、日本におけるスポーツは競技スポーツに重点がおかれ、遊び要素が量的・質的に不十分です。
ドイツのゴールデンプランを主導したG・アーベルベック氏は当事既に「一律ではない一人ひとりが満足できる個性あるプログラムが必要である」と述べています。
日本も今後は、子どもが有能感を得られ、その遊びに自発的・積極的に取り組めるようなスポーツ環境が必要になってくるでしょう。